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ビル・エヴァンスについての最も詳しい伝記になっています
『ビル・エヴァンス ジャズピアニストの肖像』
ピーター・ペッティンガー:著 相川京子:訳 水声社(定価3000円)
目次
まえがき
序章
part 1:Birth of the Sound
1、 プレインフールド出身の少年
2、 スイング・ピアニスト
3、 ニュー・ジャズ・コンセプションズ
4、 サイドマン時代
part 2:The First Trio,1958-61
5、 マイルスからの誘い
6、 エヴリバディ・ディグス・ビル・エバンス
7、 ふたたびマイルスと
8、 ポートレイト・イン・ジャズ
9、 エクスプロレーションズ
10、サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード
part 3:On the Road,1961-77
11、ムーンビームス
12、自己との対話
13、ヨーロッパのアメリカ人
14、シンプル・マター・オブ・コンヴィクション
15、クワイエット・ナウ
16、リビィング・タイム
17、ご静聴ありがとうございます
18、ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング
part 4:The Last Trio,1977-80
19、リフレクション・イン・D
20、24日で21都市
21、レター・トゥ・エヴァン
Notes
ディスコグラフィー

訳者あとがき
エヴァンス略伝
born August 18, 1929, Plainfield, New Jersey
died September 15, 1980, New York


1929 AUG 18 ニュージャージー州プレインフィールドに、ウェールズ人系の父親とアメリカ生まれだがロシア系移民の娘である 母親の間に誕生。 本名、 William John Evans
1935   6歳の時、ピアノレッスンを始め、翌年、バイオリンを始める。
    12歳でフルートを始め、13歳の時にバディ・バレンティノのバンドに兄ハリーの代役で参加。
1944   ニューオリンズのサウスイースタン・ルイジアナ・カレッジに入学。マンデル・ロウ(g)と知り合う。
レッド・ミッチェル(b)、トニー・スコット(cl)らと知り合い、スコットのグループに参加。
1950   同カレッジ卒業後、ハービー・フィールズのセプテットに参加、プロ・ミュージシャンとしてのスタートを切る。 これには10ヶ月ほど在籍。
1951   演奏先のシカゴで兵役に取られ、軍のバンドで演奏活動を行う。(〜1954)
1954   除隊後、両親のもとで1年ほど静養してから、ニューヨークに進出する。ジェリー・ウォルドのバンドで働き、初レコーディングを体験する。
1955   ルーシー・リード(vo)や、ディック・ガルシア(g)らの録音に参加する。
1956   ジョージ・ラッセルやトニー・スコットのレコーディングに参加。マンデル・ロウの支援により、リバーサイドのオリン・キープニューズと知り合う。
SEP 初リーダー作、New Jazz Conseptionsを録音。
ナット・ヘントフ以下の一流批評家の評価を受けたが、一般ファンの注目を集めるには至らなかった。
なお、この年、スコット・ラファロ(b)とともに、チェット・ベーカー(tp)のオーディションを受けている。
1957   ブランダイス大学で催された「サード・ストリーム」コンサートに参加、「オール・アバウト・ロージー」でのソロが高い評価を呼ぶ。

1958 FEB


マイルス・デイビス(tp)のグループに参加。一躍注目を集めるようになる。
「1958マイルス」を録音。
SEP アート・ファーマー(tp)の「モダン・アート」録音。
NOV 9ヶ月在籍したマイルス・グループを脱退。
ジミー・ギャリソン(b)とケニー・デニス(ds)と共に、自己のトリオを結成。
DEC 15 リーダー第二作、Everybody Digs Bill Evansを録音。
1959 FEB-MAR マイルス・デイビスに呼び戻され、「カインド・オブ・ブルー」の録音に参加。再び脱退後、多くのメンバーチェンジを経て、スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とのピアのトリオを結成する。
DEC 28 リーダー第三作、Portrait In Jazzを録音。
1961 FEB 02 リーダー第四作、Explorationsを録音。
JUN 25 ビレッジ・バンガードに出演。
JUL 06 スコット・ラファロ、自動車事故のため死去。
6月25日のバンガードでのセッションを録音した、Waltz For Debby」、「Sunday at The Village Vanguardの2枚のアルバムは、ラファロへの追悼の意味を込め、これより約一年後に発売される。

1962 APR-MAY ジム・ホール(g)とのデュオによる「Undercurrent」を録音。
MAY-JUN How My Heart Sings」、「Moonbeamsを録音。
JUL 16-17 フレディ・ハバード(tp)、ジム・ホールを加えたクインテットによる「Interplay」を録音。
AUG 20 バーブ・レーベルへの初リーダー作、「Empathy」を録音。
1963 FEB クリード・テイラー(プロデューサー)やヘレン・キーン(マネージャー)のアイディアにより、2重録音の「Conversation with Myself」を録音。グラミー賞を獲得。
MAY 30-31 At Shelly's Manne Hole」を録音。 リバーサイドへの最後の吹き込みとなる。
DEC 18 ベースにゲイリー・ピーコックを迎え、「Trio 64」を録音。
1965 FEB 03 Trio 65」を録音。
SEP 29 クラウス・オガーマン楽団との共演による「Bill Evans Trio with The Symphony Orchestra」を録音。
1966 FEB 21 父、ハリー・L・エバンス急逝直後、タウンホールでのライブ「At Town Hall」録音。
APR-MAY ジム・ホールと再びデュオ・アルバム「Intermodulations」を録音。
OCT 11 エディ・ゴメス(b)と知り合い、シェリー・マンを加えて「Simple Matter of Conviction」を録音。
1967
AUG 09 多重録音によるソロ・アルバム、「Further Conversation with Myself」を録音。
1968 JUN 15 モントルー・ジャズ・フェスティバルにエディ・ゴメス、ジャック・ディジョネット(ds)と共に出演。Bill Evans at The Montreaux Jazz Festivalとして発売される。
1969 JAN-MAR ジェレミー・スタイグ(fl)との共演版「What's New」を録音。
  DEC 12 ソロ・アルバム「Alone」を録音。 後、このアルバムでグラミー賞を獲得。
1970   この頃悪癖を絶ち、ドラッグとは無縁の生活を送るようになるが、非常習性のコカインに手を出す。
JUN 19 モントルージャズフェスティバルに自己のトリオで出演。 「Montreaux II」を発表する。
1971 MAY-JUN CBS移籍後、初のアルバム、 「The Bill Evans Album」を録音。 スタインウェイとともにエレクトリック・ピアノ(フェンダーローズ)を弾いて話題となる。
1972 MAY ジョージ・ラッセルとの共同作業による「Living Time」録音。
1973 JAN 4 エディ・ゴメス、マーティー・モレル(ds)を率いて初来日。20日、12回を数えた最終公演の郵便貯金ホールでのライブを録音。 「Bill Evans Live In Tokyo」として発売される。
この後、エイレン婦人が急逝。
NOV 19 シェリーズ・マンホールでライブを録音。後年発売される。(「Eloquence」)
1974   しばらく独身生活を送った後、ニュージャージーの田舎に移り住み、新しい妻と再婚。
JAN ファンタジー・レコードに移籍。
FEB 11-12 ビレッジ・バンガードで「Since We Met」を録音。
FEB 11/12/14 MPSとの単発契約による、「ymbiosis」を録音。
MAR 二度目の来日。
NOV 7-10 CBS移籍後の初アルバムとなった「Intuation」を録音。
1975 JUN 10/13 トニー・ベネット(vo)とのデュオ・アルバム「The Tony Bennett-Bill Evans Album」を録音。
JUN 20 モントルー・ジェズ・フェスティバルに出演。「Montreux III」として発売される。
秋、愛息エバン誕生。
DEC 16-18 Alone Again」を録音。
1976 JAN 三度目の来日。
MAY Quintessence」を録音。 メンバーはハロルド・ランド(ts)、ケニー・バレル(g)、レイ・ブラウン(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)。
SEP トニー・ベネットと再共演。「Together Again」として発売される。

1977 FEB-MAR リー・コニッツ(as)、ウォーン・マーシュ(ts)らと「Crosscurrents」を録音。
MAY 11-13 ファンタジー・レコード最後のアルバム「I Will Say Goodbye」を録音。
AUG 23-25 エディ・ゴメスとの最後の共演作You Must Believe In Spring」を録音。
1978 JAN-FEB 多重録音を駆使した「New Conversations」を録音。
SEP 四度目の来日を果たす。
OCT-NOV トゥーツ・シールマンス(hca)、ラリー・シュナイダー(ss/ts/fl)を迎え、「Affinity」を録音。
1979   春、兄ハリー・エバンス死去。
AUG 6-9 トム・ハレル(tp)を迎え、マーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーバラ(ds)と共に「We Will Meet Again」を録音。
NOV 26 The Paris Concertを録音。
1980 AUG サンフランシスコのキーストーン・コーナーに出演。 「Consecration The Last Complete Collection」
この頃から胸の筋肉が引きつると言って治療を受ける。
SEP 9-10 ニューヨークのファット・チューズデイズに出演。 最後の演奏となる。
SEP 11 演奏不可能となる。 しかしこの後も病院へは行こうとしなかったと伝えられる。
SEP 15 午後5時、ニューヨークのマウント・サイナイ病院の救急室に運ばれるが、まもなく死去。 死因は出血性潰瘍、気管支肺炎、肝硬変。
享年51歳。